常設展示

2010年度にリニューアルいたしました。
「野田に生きた人々の生活と文化」をテーマに、野田において醤油醸造業が本格的になる近世中期(18世紀)から1950年代までの時代を、当館コレクションを用いていくつかのコーナーに分けて展示しています。

【醤油の町 野田の名声】

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野田の醤油造りは、寛文元年(1661)の上花輪村・髙梨兵左衛門家が記録の残るもっとも早いものとされています。
18世紀に入ると、地元の村役人や豪農を中心に醤油造りが盛んになり、天明元年(1781)には醸造家七軒が造醤油仲間を結成、醸造業の発展に尽力しました。18世紀まで江戸の町では関西産の醬油が主流でしたが、19世紀には関東産の濃口醬油が優勢になり、野田は銚子と並ぶ一大産地へと成長を遂げました。

【醤油樽と職人】

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昭和30年頃まで、野田では醤油の容器である樽の製造が盛んでした。
江戸時代から明治中期までは酒樽や一度使用したものの再利用が中心でしたが、大正期には新しい樽の使用が一般化します。昭和初期には工場や樽屋で年間200万樽以上生産されました。しかし同時期に缶やビンの使用がはじまり、昭和30年代に入ると小売に適したビンが主流になりました。これによりほとんどの樽屋が廃業しましたが、なかには漬物樽や民芸品などに活路を見い出した樽職人もいました。

【暮らしの変化】

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昭和25年(1950)、野田町と旭、梅郷、七福の各村が合併し、野田市が誕生しました。さらに昭和32年には川間、福田の二ヶ村と合併し、さらに市域が拡大しました。この時期から経済的な余裕が生まれ、家庭で使う道具は、より便利で快適な暮らしを目指して大きく変化していきました。
市内では市営住宅や上下水道の整備が進み、昭和35年には都市ガスの一般家庭への供給が始まりました。白黒テレビが普及したのも同時期です。洗濯機、電話機などの家電製品も、昭和40年代にかけて一般家庭まで徐々に普及していきました。

その他にもコーナーがあり、計約140点の資料を展示しております。