沿革

野田市郷土博物館

野田市郷土博物館は昭和 34 年に千葉県で最初の登録博物館として開館しました。設立にあたっては、野田地方文化団体協議会の市民たちによる精力的な文化活動が基礎になりました。國學院大学の樋口清之博士の指導による遺跡調査、万葉歌碑の建設、食生活展覧会や、市民自らによる資料調査や資料購入なども行われました。建物は京都タワーや日本武道館の建築家として知られる山田守の設計によります。外観は正倉院の校倉造りをイメージしたものです。
開館後は、全国でも珍しい醤油関連資料の公開をしてきました。勝文斎作の押絵扁額「野田醤油醸造之図」(明治時代)、扁額「御本丸・西本丸御用」(江戸時代)などは、当館を代表するコレクションです。また、地域の考古・歴史・民俗資料に関する特別展などを実施しました。なかでも「よみがえる 山中直治 童謡の世界」(平成 8 年)では、特別展が契機になり市民の童謡普及活動に発展しています。
平成 19 年度からは、NPO法人野田文化広場が指定管理者として、敷地内の野田市市民会館(旧茂木佐平治邸/国登録文化財)と一体的に管理運営することにより、市民のキャリアデザインの拠点として、博物館の基礎的な機能を継承していくとともに、人の生涯や生き方、経験を共有することで、人と人とをつなぐコミュニケーションの推進役を果たしています。特別展・企画展、学校との連携、体験教室、ボランティアの受け入れのほか、当館ならではの取り組みとして市民参加型企画展、自主研究グループの育成、寺子屋講座、市内ガイド事業、キャリアデザイン連続講座、ミュージアム・コンサート、親と子の茶道講座、呈茶席などを実施します。当館は、これからも地域社会の拠点として進化を続けていきます。

野田市市民会館

野田市市民会館(旧茂木佐平治邸)は、野田の醤油醸造家である茂木佐平治氏の邸宅で、大正13年頃に建築されてから昭和20年代後半まで実際に居住していましたが、その後、野田醤油株式会社(現キッコーマン株式会社)の所有となりました。さらに昭和31年10月、主屋や庭園およそ5,000平方メートルの敷地が野田市に寄贈され、昭和32年に市民の福祉施設として開館しました。開館当初より貸し部屋業務を行い、市民の文化活動の拠点として、また結婚式の会場などに使用されてきました。建物は敷地内の茶室「松樹庵」とともに平成9年に国登録有形文化財に、また庭園は平成20年に県内初の国登録記念物(名勝地関係)になっています。
平成 19 年度からは、野田市郷土博物館と同じく、NPO法人野田文化広場が指定管理者として管理運営を行っています。「市民のキャリアデザインの拠点」としての活用を契機に、改修工事を年度ごとに行っており、老朽化した部分だけでなく、一室を市民が集い交流する場と学芸員の事務スペースとして整備、また浴室などをクリーニング、補修することでかつての生活様式が偲ばれる見学施設としても機能しています。
最近では、市民活動の会場としてだけでなく、CMやドラマのロケーションとして、あるいは第68期名人戦七番勝負第3局の対局会場となる(平成22年)など、幅広く活用されています。